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NFBの生みの親 ジョン・グリアスン
NFBの生みの親 ジョン・グリアスン

          東京工芸大学芸術学部アニメーション学科 准教授・権藤俊司著

彼がいなければ、マクラレンもNFBも存在しなかった。
ジョン・グリアスン(1898?1972、John Grierson)はマクラレンと同じスコットランド出身。英ドキュメンタリー映画運動の中心人物である。初めて「ドキュメンタリー」を提唱し、20?30年代にEMB(帝国通商局)やGPO(中央郵便局)の映画部長として多くのドキュメンタリーを制作した。

マクラレンとの出会いは1936年、グラスゴーアマチュア映画祭で審査員を務めた時である。二本の作品を応募したマクラレンに対して、『カメラで大騒ぎ』を「技術的には優れているが、構成がない」と批判し、もう一本の『カラーカクテル』に一等賞を与えた。授賞式後グリアスンはマクラレンをホテルに呼び出し、こう告げたという。
「君には豊かな想像力があるが、手綱が欠けている。学校を終えたらロンドンのGPOに来たまえ。君に規律をたたき込んでやる」
この一言がマクラレンのキャリアを決定した。同年、GPOに入局したマクラレンはフィルム編集を手始めに映画の作法を学び、やがて一人前の映画作家に成長した。

一方、グリアスンは1938年にカナダ政府から委嘱を受け、映画行政の報告書を作成。その結果翌年NFBが創設され、初代局長に就任したグリアスンはイギリス時代のスタッフを呼び寄せた。ニューヨークで活動していたマクラレンにグリアスンから打診が来たのは1941年のことである。
だが、マクラレンには広告映画社カラヴェルフィルムとの契約がネックだった。グリアスンはカナダ→アメリカの外交ルートで圧力をかけ、かくしてマクラレンのNFB入りが実現した。

グリアスンは映画の社会的機能を重視し、政府の広報映画という形で大衆教育を目指した。その理想がNFBを産んだ。彼はアニメーションの力を認めていた。マクラレンに対して自由な実験を許し、政治的外圧から守りさえした。彼こそはカナダアニメーションの陰の立役者である。

(第10回カナダ・アニメーション・フェスティバル、カナダ国立映画制作庁創立70周年 記念パンフレットより)

copyright@Canada Animation Festival (CAF). All rights reserved.

テーマ:映像・アニメーション - ジャンル:学問・文化・芸術

[2009/12/07 00:53] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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